はじめに
2027年のNHK大河ドラマの主人公に選ばれた小栗上野介忠順(おぐり こうずけのすけ ただまさ)」。
幕末の動乱期に活躍し、日本の近代化に大きな影響を与えた人物です。しかし、これまで坂本龍馬や西郷隆盛ほど注目されることはありませんでした。
本記事では、「小栗上野介忠順」の功績に焦点を当て、その歴史的な意義を解説します。
また、大河ドラマで彼のどのような側面が描かれるのかを考察していきます。
このブログが「小栗上野介忠順」を知るきっかけになれば幸いです。
小栗上野介忠順とは?
小栗上野介忠順(1827年~1868年)は、江戸幕府の旗本として生まれました。勘定奉行(現在の財務大臣に相当)や外国奉行を務め、幕府の近代化政策を主導した重要な人物です。
※ちなみに、「小栗上野介忠順」の「上野介」は当時の役職であり、「上野国(現在の群馬県のあたり)の次官」という意味です。
彼は日本の発展を考え、西洋の技術や制度を積極的に取り入れました。しかし、幕府が崩壊し、新政府となると「逆賊」として扱われ、1868年に処刑されてしまいます。
なぜ彼は処刑されながらも、今再評価されているのでしょうか?
その理由は、彼が残した数々の功績にあります。
幕末の激動期に果たした功績
(1)横須賀製鉄所の建設
小栗の最も大きな功績の一つが、「横須賀製鉄所(現・横須賀造船所)」の建設です。
- フランスの技術者ヴェルニーを招き、1865年に建設を開始。
- 日本初の本格的な西洋式造船所として発展。
- 後の日本海軍の基盤となり、明治以降の近代化を大きく支えた。

①当時の横須賀製鉄所の様子

②現存する造船ドック(①②引用:横須賀市ウェブサイト)
当時、日本は欧米列強の圧力にさらされており、強い海軍力が必要でした。
小栗の先見の明がなければ、日本の近代化は大きく遅れていたのかもしれませんね。
(2)幕府財政の改革
幕末の幕府財政は逼迫していました。小栗はこれを立て直すため、以下のような政策を打ち出しました。
- 金銀交換レートの適正化(幕府の財政基盤を強化)
- 商工業の振興政策(経済発展を促進)
- 租税制度の見直し(安定した税収確保)
彼の改革は「明治政府の財政政策の先駆け」と言われ、現在の日本の経済発展にも影響を与えています。
(3)幕府海軍の近代化
小栗は幕府の軍事改革にも関わり、西洋式軍隊の育成を推進しました。
- フランスの軍事顧問を招き、近代的な訓練を実施。
- 江戸幕府の艦隊を整備し、西洋式の軍艦を導入。
- 幕府海軍の発展に貢献し、後の明治政府の海軍基盤を築いた。
彼の軍事改革なくして、明治政府の海軍の礎は作れなかったでしょう。そう考えるとなんだか皮肉なもんです。
戊辰戦争と悲劇の最期
1868年、戊辰戦争が勃発すると、小栗は徳川幕府を支える立場にありました。
しかし、新政府軍(薩長軍)にとっては「幕府の改革を進めた重要人物」として危険視されました。
- 「幕府復活を狙っている」と誤解され、高崎藩に捕らえられる。
- 1868年4月6日、上野国(現・群馬県)の処刑場で斬首。享年42歳。
- その後、長らく「逆賊」として歴史から消される。
そんな小栗上野介忠順が、近代になって再注目されるのはなんだか喜ばしいことですよね。
2027年大河ドラマで描かれる小栗上野介
2027年のNHK大河ドラマでは、小栗上野介忠順の人生が初めて本格的に描かれます。
注目ポイントは:
- 横須賀製鉄所の建設秘話
- 幕府財政の改革とその影響
- 新政府との対立、そして処刑までの経緯
- もし小栗が生きていたら、日本はどうなっていたのか?
このあたりが描かれれば当時の国内外の情勢や小栗のパーソナルな部分も知ることができるでしょう。
この大河ドラマを通じて、多くの人が小栗上野介の功績を知るきっかけとなれば良いですね!
まとめ
小栗上野介忠順は、日本の近代化に大きく貢献した人物です。
✅ 横須賀製鉄所の建設 → 日本の海軍発展の礎を築く
✅ 幕府財政の改革 → 明治政府の経済政策の基盤となる
✅ 幕府海軍の強化 → 近代的な軍事制度の先駆けとなる
しかし、彼の功績は長らく評価されず、戊辰戦争後は「逆賊」とされ、処刑されました。
「歴史は勝者が作る」とはよく言ったものです。
長い間まさに歴史の闇に葬られ、逆賊とされていた彼に光が差し込んだのは良いことだと思います。
2027年の大河ドラマを通じて、彼の本当の姿が広く知られることを期待しましょう!ぜひ、チェックしてみてくださいね。
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